2009年5月31日日曜日

日本上陸

と言いたいところですが、まだ飛行機の中でちょこまかと考え事をしながら書いています。実際何を日本でするのか、まだまだ考えているところ。食べたいものは、結構あるので追々食べるとして、ちょこっと飛行機の話を。今回のフライトはFinnairであります。

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スウェーデンから日本にせよ、日本からスウェーデンにせよ、ヨーロッパ-日本間のフライトはそこそこ長くかかります。Finnairの殺し文句は、北欧という立地条件上、フライト時間が短いということであります。ヘルシンキをハブにして、リージョナル機も含めて、バシバシ細かい路線を飛ばすということ。フランクフルトやパリ、ロンドンみたく、日本から直行便が飛んでいるようなメジャーな都市に住んでいるなら別ですが、自分みたくわりと北欧のこぢんまりした街に住んでいる人間にはいいのかもしれません。ヘルシンキ空港を拠点にしている航空会社も限られているため空港が程々の規模で、乗り換えも非常に楽だったりします。

長距離路線の発着時間が重なっているためパスポートコントロールの通過に若干時間を要しますが、検査の厳しい空港の荷物検査の列に比べれば随分マシ。驚いたのは案内板。英語、フィンランド語、スウェーデン語(一応フィンランドの第二公用語らしい)に加え、日本語の案内板も。英語が通じないだけじゃなくて、実際に利用者も多いことが伺えます。

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今回の関空までの機内は、最近はやりのエンターテイメント系設備がないこと以外はごくごく普通。まぁ古い機材なので、電力をバカ食いするシステムを導入するにはそれなりにコストがかかるってことなんでしょう。実際、見たい映画はパソコンとかポータブルDVDプレーヤとか持ってけば事足りるし、ゲームも然り。その代わりという感じで、歯ブラシとかアイマスク、耳栓がきっちり用意されていたのは好印象。キャビンアテンダントの人たちも、話しかけると割と気さくにしゃべる人が多くてフレンドリーでありつつ、きっちりしたサービス。

時期柄、マスクを着けている日本人が多くて、日本に近づくことを感じさせられたり。どこぞの人が「戦時中の防災ずきんの様」と批評していたのは言い得て妙。

2009年5月29日金曜日

Slottsskogen

とりあえず動物を見てぼーっとするというお話(以下略)

 

 

 

 

2009年5月27日水曜日

旅の準備

今月末から日本、目下準備中というところ。おおまかな予約・手配が済んでいるのでそれほど問題はないけれども、せっかくの機会なので大掃除、自転車も含めて色々やっております。そんなに物は持っていかないつもりなので、あとは直前の洗濯だけ。

日本までのフライトはFinnair、ヨテボリから途中のヘルシンキでの接続も行きが50分、帰りが1時間少々とまずまず。ちょこっとコーヒーを飲んで一息つく時間がありそう。長過ぎず、短過ぎず。ヘルシンキの空港は初めてなので結構楽しみ。

ここ数年スウェーデン発のフライトの手配はFlygvaruhuset でやってます。チケットだけでも新興系の旅行会社とかネット専門の会社より5%近く高くなるけど、トラブルがあった時には力関係が多少モノをいうので、とりあえず自分はここ。スタッフが多めなのも一つ。あとは付加的な保険の条件が他社に比べると良かったり。

初めてといえば、 ヘルシンキまでブラジル製のリージョナルジェット機、Embraer 170 かEmbraer 190(どっちか忘れました)も初めて。日本航空にも一応納入されています。ヨーロッパの路線って小さい飛行機で飛んでるところが結構多いんですが、小さくて圧迫感がある分座席が少し広いことが多め。このサイズでプロペラじゃないというのは、ちょっと魅力的。

韓国ドラマ

最近スウェーデン語の勉強でご無沙汰になってましたが、久々に韓国ドラマ、Air City (에어시티)を見ました。いくつかこの手のドラマで気になる部分もありますが、比較的大御所が揃っていて予算なりに仕上がっている印象。

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スウェーデンで韓国ドラマをやっているのかというと (-.-;)y-~~~ でありまして、基本的にその手のショップで買うか、ネット経由でないと見ることができません。日本のネットは、有料サービスから個人ベースのところまで、結構閉鎖的なところが多く、海外アクセスできないとこが大半。なのでアジア圏のサービスを使う羽目になります。

とりあえず旅行に備えて持って行く音楽と映画、本を選定中。さすがにドラマは長いので、あまり重たくない映画を目下見繕っております。

2009年5月23日土曜日

近所のパレスチナ系一家が飼っている猫とは最近仲良し。Marikoという名前らしいですが、わりと人なつっこいものの、おやじさん曰くMarikoも自分をかなり気に入っているとのこと。50m先からでも、しゃ~っと走ってきます。猫の視力ってどのくらいあるんだろうとつくづく疑問になったり。

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自分のアパートの前をテリトリーにしている猫は3匹いますが、Mariko以外の2匹はどちらもシャイであまり近づくことができません。こいつのテリトリーはわりと広めで200m先まで普段からうろうろしています。猫は近所にそこそこいるのでテリトリー維持にも余念のない様子。近所のおばさま情報だと、人なつっこいけど好き嫌いは実は激しいとのこと。ちょこっと猫が欲しくなったりするけどまだまだ先の話。

選挙

6月に欧州議会選の選挙がスウェーデンでも行われますが、Nordstanのイベントスペースでは、もう投票できるのかな?というくらい準備が進んでいます。ショッピングセンターを借りて投票ができるようにするのもなかなか乙な計らい。

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スウェーデンからは今回18議席、スウェーデン議会の政党と同じではしていませんが、それぞれ提携先の欧州議会の政党があって、それぞれタイアップしている様子。街の中でも選挙活動しているけど、スウェーデン国会の選挙に比べるとどうも盛り上がりに欠けるという印象。派手なキャンペーンもあまり見ていません。

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今年こそ見に行こうと思っていたスウェーデンのSTCC主催、感じとしてはGTクラスのレース、Göteborg City Race も日本に行っている間に行われるらしくちょこっとがっかり。一応車が展示されていました。ん~夏休みの入りかけに日本にいるというのは、やはり結構色んなことを逃すことになるかも。

2009年5月21日木曜日

Dion、お前もか

と、有名なせりふのパチリですが、長年使い続けているサービスの一つDionのサービスが今ひとつ、という愚痴というか悪口のお話。他のプロバイダ同様DionでもWebメールが使えるので、外出先や再インストール時等、メールソフトでメールをチェックできないときに重宝します。ただ、その悪態っぷりがNTT Dataばりだったりするので、ん~という感じ。二流・三流企業を自覚している分には問題ないんだけど、自ら業界のリーディングカンパニーみたいな顔を見せつつ、やってるレベルが低いのが問題。足引っ張ってるだろ、引っ張るところ違いますわ、という感じ。

ともかく現在のDionのWebメールは3本立て。一つは旧来からのWebメールで、2009年7月いっぱいでサービス終了。認証はメールアドレス・ユーザID・パスワードの3つを入力する必要があります。ヨーロッパ言語を含め、日本語以外のエンコードには全然対応していない反面で、わりとどんなマシン環境でもとりあえず動くというメリットがありました。

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んで、最近のWebメールはau one net に移行してRIA版(上記画像)とHTML版。RIA版というのは、Rich Internet Applicationといって、Dionの場合要はインターフェイスがソフトウェアのようになっているバージョン。IEで動かすと、今のネット環境ではモールス信号並みにレスポンスが悪い。当初スウェーデンからのアクセスかと疑っていたもののFirefoxで動かして見たところ随分マシな結果に。現状の欠点としては、Firefox3.0だと勝手にHTML版にリダイレクトされる。ユーザにその選択を任せるという発想はないらしい。

HTML版は、バグのオンパレード。Dionのサポートの連中はFirefox3.0はサポート外、2.0.xか1.5.xを使えというありがたいアドバイスをくれるのだが、当の2.0.x.ですらMozillaの正式サポートは半年以上前に終了、当然正規ルートでは入手できない。Firefox3.0でDionを使うと、どうしようもないことが多い。ただ断っておくと他のサイトでは一切同じような問題が起こっていないので、FirefoxではなくDionのサイトの問題。

症状1.
ログインを行うと「ログイン後2時間以上経過したためログアウトしました」というページに飛ばされる。

症状2.
ログインを行おうとすると、もう一度ログイン画面が出てくる。

症状3.
ログイン後1時間も経ってないのに「ログイン後2時間以上経過したためログアウトしました」というページに飛ばされる。

au one net のHTML版においても相変わらずヨーロッパ言語はサポートしておらずレイアウトの変更で若干アドレス管理が楽になっただけでその他は全くメリットなし。ページが重たくなってレスポンスが悪くなっただけの話。

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最終的にたどりついた結論はFirefoxのアドオンの一つUser Agent Switcher を使うということ(上記画像)。こいつを使うと、一応IEを使っているように見せることができるので、Firefox 3.0.xでも一応RIA版を使うことができる。ログインにはHTML版以上の時間がかかるけど、ログイン後のレスポンスはなかなかいい。もっとも、再度デフォルトでログインしようとするとできなくなるので、auone-.netのCookie一式を一回消してやる必要あり。

Cookie がどうしようもないような記述ならば、こちらでCookie の有効期限を編集して、ログインを簡易化してしまえという話でAdd N Edit Cookies。多少御利益を期待したものの、Cookieの上書きがあるので使う意味ゼロ。Cookieの上書きを妨害する方法を考えるか、ログインを簡素化するためにマクロで自動ログインを作るかは今後の検討課題。

2009年5月19日火曜日

家庭菜園

昨年は、彼女の実家にお願いをしてカボチャを作ってもらったんですが、今年はスペースの都合で却下。さすがに結構おもしろいくらいのびるので、スペースが必要な上、去年は受粉状況が良くなく、3株植えて小さいのが2玉しかつきませんでした。

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料理を作るときに、日本と同じ野菜がない場合には、一手間かけたり調理方法を変えたりして、適当に使います。カボチャ・大根・白菜とかは、一応近い品種のものが売っているものの、ちょこっと感じが違うな~と思ったり。そんなわけで、ちょこっとプランターで栽培したいな~と思ったりしますが、大物は無理なのでたぶん香辛料系とかを作ってみようと思ったり。

2009年5月17日日曜日

どこからその名前は来るのか

スウェーデンの推理小説「Wallander」シリーズは、近年かなりの頻度で映画化されており、近年イギリスでもドラマ化。基本的にはドラマベースという感じもするので、事実の描写については何割引かしなければなりませんが、それでもスウェーデン語の勉強用に10数本ある映画をそれぞれ何度か見ています。中年の哀愁、現代的な人間関係、日常の延長線上のドラマ、まぁそんなセリフが自分のイメージでしょうか。

主人公のKurt Wallander(カート・ワランダー)役は、その時々によって入れ替わっていて、現在はKrister Henriksson氏が担当。BBCの方はノーチェックですが、日本のwowwowでも放送されるようで、タイトルは「ヴァランダー」とのこと。ん、と思いちょこちょこチェックすると、小説の方は日本語でも出版されているようで、表記もそのようにされています。Veronica Marsにしてもそうですが、翻訳出版あるいは放送される場合、発音がかなり違っていることがあります。なぜ?と感じることはありますが、おそらく理由としては (1)どこかの地方の方言をそのまま引き継いだ、(2)数カ国語の翻訳を手がけていて他の国の発音を採用してしまった、(3)発音の法則そのままを使ってしまい実際に通用する発音をチェックしなかった、などが考えられます。

Veronica Mars は日本語でヴェロニカ・マーズと表記されており、(3)の基本的なルールに則って間違った典型的な例であります。自分も最後のsは濁る音になる、と中学時代の英語教師が鼻高々に教えていたことは記憶に残っております。しかし、氏名は外国からの移民や、ルーツにより読み方がルールとは異なったものが通用することが多く、また固有名詞も時折注意が必要です。Marsは中学生向けの辞書にも正しい発音が表記されており、ん~という感じ。

カタカナ表記だと発音を再現するには限界があることは理解できます。しかし、明らかにずれまくっていて、タイトルや主人公の名前は結構重要なのに、なんでチェックしてないんだろうという気がします。Wallander の場合、(2)の外国語の発音か(1)の方言かなと推測できます。それにしても、すごいずれの一言かも。一度命名してしまうとなかなか改名できないので、きっと最初が肝心。

Kviberg

Kvibergで毎週土日に開かれているマーケットは最近のお気に入り。どう見てもゴミにしか見えないものから、新品のバッタ物までいろいろあります。基本的には移民とか出稼ぎの人たちの出品が多く、ここでは生粋のスウェーデン人はむしろマイノリティというところ。全体で100-150店くらいの出店があります。

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もう少しこのエントリを早く書こうと思っていたんだけど、屋台で食べたもので当たって、2-3日えらい状態でした。安くておいしいんだけど、ちょっとパンが微妙な味だったので、たぶんそれが原因。

先週も今週も、某スウェーデンの自動車メーカーと精密機器メーカーのノベリティグッズをちょこちょこ購入。せっかくなので、新品(たぶん横流し)をゲット。週ごとに結構品揃えが違うので、また日本から戻った後に寄ってみようという感じ。

2009年5月16日土曜日

とりあえず

ノートパソコンのキーボードがXP側で認識しなくなったので再インストールというか復元しました。これは機能的に重大で、なかなか外付けキーボードだけでは、手に負えません。というのも現在使っているのはスウェーデン語配列のキーボードなので、結構すぐに出てこない記号があります。近々日本に一時帰国するので、キーボードを持ち歩くわけにもいかず・・・。相変わらずAcronisのTrue Imageが大活躍。買ってしまってもいいのですが、何せお試し版でたいてい事足りるので、なかなか買わずじまい。どうやるの?という方は頭をちょっとひねってください。

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そんなこんなで最近使ってなかったソフトをちょこっと発掘、Windows Live Writerというブログ用のソフトなんだけど、考えたらWindows Live Space (名前の付け方が本当にくどい)以外で使えても何もおかしくないんだよねってことで、ちょっとお試しのエントリーを。とりあえず使ってみて、実用に耐えそうだったら人に勧めるところだけど、インストールだけでも結構マイクロソフトの色が出てしまっているので、う~んと悩めるところ。

2009年5月11日月曜日

名前とアイデンティティ

手料理をこよなく愛する自分ですが、ジャンクフードも時々いたたまれなくなるくらい無性に食べたくなるときがあります。バーガーキングやマクドナルドはそうしたジャンクフードの典型であります。クレジットカードで支払いをする時、署名はパスポートに合わせて漢字のままなので、「何~、なんだこりゃ」みたいに言うレジの人もいれば、「見て見て~」と他のスタッフに見せびらかす人もいます。そのあたりスウェーデン的な素朴さがあって、ほっとさせられる時があります。先日のドイツでも・・・以下略。ともかく、コミュニケーションのきっかけになるので、日本語でのサインが将来法律で禁止でもされない限り絶対やめません、という話。

スウェーデンにおいても日本においても、使用する言語は事実上の公用語であって、法律上定められた言語ではありません。しかしだからといってヘブライ語を使って何らかの行政手続きを行おうとすると、内規で定められているかは知りませんがとにかく通常は「理解不能」な記号であり、受け取りを拒否される可能性が大です。ただ、完全に日本語のみが行政手続き上の言語とは言い切れず、例えばアルファベットや英語は一部の手続きにおいても通用すると考えてもよいかと思います。例えば入国管理関係や、商標・パテントの対象物(通常人・法人)などは日本語以外の言語も実質的に通用しています。

しかしながら、契約等において日本語での表記を要求する企業や団体は多く、また一時期でほどではないものの特に韓国語や中国語の「日本語読み」を要求することがまかり通っている場合もあります。数年前、東京三菱銀行(当時はたぶん)の国分寺支店で留学生の口座開設の手続きを手伝った際に、担当者が「日本語読み」または「漢字」で口座開設を迫ってきたことがあります。当時としてもNHKが「日本語読み」をやめてから数年が経っており、何とも時代錯誤な感覚で開いた口がふさがらなかったのは言うまでもありません。また外国人登録証上の表記でも口座の開設が出来ることは既に分かっており、それらの点を指摘しても担当者は手続きを改めようとせず、頑張ってねという意味も込めて手伝いをやめてただ見てました。約数名は「日本語の漢字」を知らず、こちらも名前を勝手に日本語表記に書き換えるために「日本語の漢字」を教える気もしなかったのでただ黙殺。結果、名前が手書きの通帳となりさらに面倒くさいことになりましたが、してやったりというところでした。本来であればこの様な取り扱いの不当さは既に議論され尽くしており、きちんとクレームを入れて是正させるべきですが、その後の生活に忙殺され時期を逃したというところ。

名前はその個人そのものを表すことから、アイデンティティの重要な一部を担うものであります。その点に鑑みれば、日本語で補足的に表記するのであればいざ知らず、それが本人そのものの名前として表示されることは、本人に選択の余地が残されていない場合、否定されて然るべき事柄です。というわけで過去の自分の不作為による贖罪を償うため、ちょこっと最近気になったtaspoについて若干質問を送付。taspoはたばこの購入者が成年者かどうかを識別するカードですが、公益性を有する団体たる社団法人日本たばこ協会により運用されています。同カードの申し込みに必要な本人確認の書類やその名前に関する制限が通常の企業との契約に比べても多く、主に現住所を日本国内に持たない外国籍のみを有する者、および平仮名および片仮名が含まれた名前を有しかつ列記された身分証明書を有していない日本国籍を有する者を実質的に手続きから排除しており、手続き上の制約が課されております。個人的な意見としては不当な差別だと思うけど、本人確認における証明書類の公的性格の比重をちょっと見誤ってるだけかもしれない。公的な団体が行っている事にしてはそのあたりの確認が疎かになっているかと思います。まぁこの話はおもしろくなりそうであればもう少し続きを考えます。

2009年5月10日日曜日

Kopps

前回書いたエントリでスウェーデンの警察と日本の警察の無能さの違いを書こうと思ったのでその話。

凶悪犯罪が増えてるとか治安が悪くなったという話をする場合によく持ち出されるのが統計であります。日本で言えば犯罪白書とかがメインになるのかな。各国の警察の犯罪や統計データを比較すると恐ろしく違いがあります。犯罪の認知件数と検挙率、それだけを見るとわりと日本の警察は検挙率4割程度(近年は2割程度)と優秀なのかという話になります。なんてことはない、検挙できそうもないものを認知しなければ検挙率はおのずと上がります。フィンランドなんかはその典型かもしれません。警察が被害届を受理しなかったという話は結構あって、そんなことをやってる限りは検挙率が高くなろうが低くなろうが、犯罪を読み解くデータとしては有意ではありません。分かるのは、警察がどの程度業務をこなしたかという数字だけ。

会計でもそうですが、特定の数字を比較することに意味があるとするには、そのデータが同じ基準に基づいて計算されていることが前提となります。そして前年度と異なる要素がある場合には、いわば「規範的」にデータを読み解くことが必要になります。典型的なのは、一時期よく議論の対象になった警察発表の「外国人による(凶悪)犯罪は増えている」という言説。この主張はある種正しく、ある種間違っている議論といえましょう。警察による外国人が関わったと推測される犯罪の認知件数および検挙件数は一時期増えておりその点では、なるほどねと一応言えます。が、当時各警察の予算および人員が増え検挙件数も著しく増加していたため、認知および検挙に関して、犯罪に占める外国人の割合は低下していました。そして何より日本に居住・滞在する外国人の増加は、外国人人口あたりの犯罪率の低下をもたらしました。「外国人による(凶悪)犯罪は増えている」というある面では正しい言説ですが、それを政治的に肯定されたとしても「あ、そう?」くらいのレベルの話であって、イメージ力の乏しい自分にはその言説から外国人(だけ)の犯罪について何か規範的なことを導くことはできません。スウェーデンでも外国籍の犯罪率が統計的に挙げられており、犯罪の種類にもよりますが例年全体としては3%程度高くなっています。

ただスウェーデンでは外国人の犯罪率の割合やその増加について、日本のそれほど議論されてないかと思います。実際、外国籍であるということが統計で計算して、そこからどの程度規範的なことが読み取れるかという問題が残ります。まず、スウェーデンにおける「外国人の犯罪率はスウェーデン人の犯罪率よりも高い」という仮説を立てます。国籍において分ける場合、対象となる母体がある種同一の条件でなければ、国籍という要素は実際には有意ではありません。すなわち他の要素が片方の母体に多く含まれている場合、例えば貧困や無職といった要素が含まれている場合には、貧困や無職が原因であり外国人であることそのものが原因ではないということになります。従って「外国人の犯罪率はその貧困が故に犯罪率がスウェーデン人に比べて高い」という程度のことは言えるかもしれませんが、外国人という要素そのものの意味はありませんし、ましてや犯罪率そのものが生まれながらの犯罪性には結びつきません。もちろん近年のボーダーレス化による犯罪の越境の問題、古くからのフィンランド人の移住とその貧困というまぁ少し近い問題はありますが、犯罪の予防という観点から外国人を排斥するべきというぶっ飛んだ議論までは突っ走っていないというのが今までの経緯かと思います。

そうこうして考えると、日本の警察の本部が適当な数字で議論している間に今日も警察が「認知」していない犯罪がポコポコ発生しているのはある種警察の怠慢の結果。ただ、ふつうの警察官の名誉のために言っておくならば、警察が動くためにはまずそのための制度と予算が必要であって、勝手に動くなら独善的だしコントロールが効いてないということで非常にまずいのでそれは否定されるべき。ただ、制度も予算もあるのにただ動いてないケース、ことに被害届の不受理はただの怠慢ではなく法律上要求された業務を執行していないので何らかの歯止めというかサンクションが必要かと思われます。

スウェーデンの警察の無能さに話を戻しましょう。スウェーデンの検挙についての統計を取り上げた記事が2ヶ月ほど前にあったはずなのですが、その記事をスクラップしていたわけではないので、この話は少し正確さに欠けます。傷害事件の送検件数はおよそ6-7%、街頭インタビューでは低いね~という話。数字的には、認知>捜査>検挙>送検となるのかな。スウェーデンの警察はことに傷害事件については、送検する場合でも逮捕までいかないことが結構あるので、日本のそれとのデータ比較は少し難しいところ。特にそれ自体で客観的事実が既に認められる現行犯について、逮捕せずに済ませてしまうケースがあります。警察が既に証拠収集をしてしまえば隠滅できる証拠など限られてますし、起訴されてもおよそ執行猶予や罰金刑止まりのケースの場合、逃亡する可能性は低いというのは経験則上明らかなのでしょう。実際、自分の知っているケースでは、全治1ヶ月程度の傷害事件で逮捕、3日程度勾留の後釈放、後の公判でも罰金刑で済んでいます。被疑者(容疑者)は容疑を否認していた上、被害者を逆に暴行で告訴していたため、日本であればおそらく釈放されないケースのように思われます。ただ、裁判前の段階で釈放されることはどのケースにとっても多く、その点で警察や検察に対する批判が多くあるのも事実です。いずれにせよ通報や申告のあったもののかなりが認知件数に入っておりその点で処理件数の歩留まりが悪くなっていること、程度の重い事件の処理に忙殺されて、軽い事件の処理には実質的に手が回っていないことは、こちらでも課題となっています。

日本にせよスウェーデンにせよ裁判で有罪判決を受けるまでの間、被疑者や被告人は法律上無罪の推定を受けます。この点に鑑みるならば、被疑者や被告人は証拠収集および裁判手続きに必要な限りでの制限を受けることはやむを得ないもののそれ以上の勾留はさけられるべきであります。単純な事件において長期的な勾留を行うことは、論理的にみると長期間かけて捜査しているということであって、無用な拘束を行っているということであります。何も犯罪者がその罪に見合った刑に服するべきであるという考え方を否定しているのではなく、刑罰と刑罰を決定する為の手続きとを混同すべきではないということ。捜査機関がそうした法律上の建前さえも遵守できないとなると、法律の執行機関としての適格性を疑わざるを得ません。

そんなこんなで少し話は長くなりましたが、自分のお気に入りのスウェーデン映画の一つ、Koppsの話を。警察ものの映画や小説は、ある程度フィルターをかける必要があるものの、一般的な人から見た警察観がかいま見られるため、語学・一般教養といった点からも非常に参考になります。

 

映画 Kopps は典型的なコメディ作品で、片田舎の警察署が舞台となります。犯罪が殆ど起こらない集落の警察署が閉鎖の危機に瀕して、主人公たちが抵抗を試みるストーリー。日本やアメリカの警察ドラマに比べると、ヒーロー型の警察というのはあまり流行らないのかもしれません。こっちの普通の警察ものは結構重たい話が多くて、見たあとどよ~んと気持ちがよどむことが多めです。

2009年5月6日水曜日

サイン本

部屋の片づけをしていて、こっちに来てからもらったサイン本を発掘。まだ書いてないな~と思うところがあったので少しその話を。


ビル・クリントン(Bill Clinton), Att ge (Giving)、これは2007年にヨテボリでサイン会があったときにサインしてもらったもの。感動しててというか、当時過去の人になってたことにあっけにとられてというか、とにかく自分の名前を入れてもらうのを忘れてました。


サインをみるとちょっとこなれてるというか、あっさりしている印象。政権を取ってた時代にプレイン・イングリッシュを掲げていただけあって、スウェーデン語の翻訳も妙にわかりやすくかかれているような印象。まぁ学術的な本というより一般人向けの本という話。


続いてJan Guillou(ジャン・ギロウ)、Men inte om det gäller din dotter(しかし君の娘たちのことではないなら) 。2008年のヨテボリ・ブックフェアにて。Jan Guillouの本としては4冊目、ハードカバーとペーパーバック(新書)が選べましたが、ハードカバーとしても値段はそれほど高くなかったので奮発。まぁサインお願いするというのもありますし。


見ての通り字がちょっと走っているので、編集泣かせかもしれません。現在は最近の作品、Fienden inom oss(我々の中にいる敵)を読んでいます。どの作品もそうですが、ページあたりの字数が結構多く、なかなか読み進めるのがしんどくなるときがあります。サイン本はあまり汚したくないので、安いペーパーバックを探すか考え中。売れてる作家なので安いですし。

さてさて

仕事の申し込みをネットでチャカチャカ打ち込んでいて、誤ってウィンドウを閉じてしまって、ん~という状態。まぁこの手の作業は疲れてくるとこの手のミスが起こります。同じ文章を書くにはちょっと頭が疲れてきたので本日の仕事探しは閉店。

そんなわけでちょっとブログの方に移行。ここのところ完全とは言えないものの日本語で書く力が7割方戻った感じがするので、少しエネルギーの使い方を考えるところ。おそらく更新を半分くらいのペースに落として、半分のコンテンツはスウェーデン語版として考えようと思っています。題してAkis väg på svenska。そのまんまです。

初回の記事は、豚インフルエンザについての日本の反応について、麻生政権がパニックを作り上げているのではという懸念を少しまとめてあります。現在使用しているBloggerは様々な言語でのインターフェイスが用意されているので、多言語環境にはかなり強い印象。あと自由度が高いので、多少容量的に少なくても結構使えるなという感じです。

2009年5月4日月曜日

エリトリアについての議論から

自分がエリトリアを訪れたのは1995年、エチオピアとの30年戦争を終え、独立を果たして間もなくのこと。貧しくとも誇り高き人々との交流は今も心にしっかりと刻まれています。ここのところ、スウェーデンではエリトリアに関する報道が多くなってきており、その原因はエリトリア出身のスウェーデン人ジャーナリストがその報道内容が故に拘束され、不当に長期にわたっていることにあります。

Dawit Isaakは1964年エリトリアに生まれ、1987年にスウェーデンに移住、1992年にスウェーデンの市民権(国籍)を取得しました。エリトリアの国籍は放棄していないため、現在までいわゆる二重国籍を有しています。その後エリトリアに渡り、民主改革系紙のジャーナリストとして活動、2001年に逮捕されました。エリトリア政府は、デンマーク政府のためにスパイ活動を行っていたことを理由に拘束しているとのことですが、現在まで裁判手続きは行われておらず、また各種レポートによれば拷問も行われているようです。

Free Dawit Isaak!

スウェーデンの外交官が先月派遣されたものの、エリトリア政府は30年戦争時代に理不尽なエチオピアに西欧諸国が荷担し続けたことを盾にとって話は平行線に。拉致問題を議題に載せると強制連行の問題が出てくる日本と北朝鮮の関係に近いものがあるのかもしれません。日本でも楽観的な人たちは戦後処理が終わったように言いますが、対国家はいざしらず、対個人への処理は全く棚に上げられています。対国家への賠償で全て片づくとするには、個人が国家に帰属するという前提を受け入れなければならず、まぁ憲法改正して国連から脱退した後に議論してくださいという感じ。

エリトリア政府の弁はかなり話がぶっ飛んでいる印象、訴追がないままの長期拘束は文字通り異常です。政治的な活動に関して拘束・訴追されるのは肯定できないけどよくある話。対立する考え方や勢力をなんとか理由をつけて規制して排除しようというのは、やはり民主的な考え方とは相容れない部分があります。他者の存在や言論を否定する言論も言論の自由として成立するのか否か、ヘイト・スピーチ規制の分かれ目となります。その意味で3K新聞の言っていることはヘイト・スピーチに当てはまる程度に粗悪な言説ですが、少なくとも情報のソースは限定や規制がなされるべきではなく、幅広い情報を得るであろう受け手の判断に任せられるべきであり、憂慮すべきなのはそうした情報の質の判断が出来ない受け手の方であります。話を少し戻すと、日本でもそうした排除はわりとあって、裏金問題絡みで北海道新聞が警察に仕返しを食らったり、選挙で負けると公選法違反でバンバン捕まったりと、まぁ考えるところはたくさんあります。

タイトルの通り当初のタイトル、「刑罰の重さについて」という話に行き着く前にエネルギー切れ。次回に話を残しておきますが、ざっくばらんに内容的には1.刑確定前の拘置期間が長すぎ、2.近年の「被害者の人権」という議論が従来の人権の観念とはかなりずれててまずい、3.被害者の保護のあり方、4.スウェーデンの警察の無能さと日本の警察の無能さの違い、5.刑務所や刑に関する考察、などなど、それぞれ論文が書けそうな重たいネタなので、どのように笑って読めるようにするかちょっと頭を絞ります。

新聞Metroで紹介されていたYoutube特集で、わりと笑えたので転載、どちらも英語での話。



まぁ、少し先日していた話と重なります。

2009/05/04 10:46 タイトルおよび記事内容を若干修正